二日目(高山〜滋賀)

二日目の朝を迎えた。

けたたましく携帯電話の目覚ましがなる。

眠たい目をこすりながらJの家で起きる。

Jの家族は、ありがたいことに朝食をご馳走してくれた。

さっき畑で取れたという野菜が盛り込まれていた。

ヘルシー

一人暮らしゆえ、栄養偏りがちな僕にはありがたい朝食であった。

 

7時43分高山発の列車に乗るために7時20分過ぎ、Jは、僕を駅まで送ってくれた。

Jに別れを告げ、18切符を駅員に見せ、ホームに止まっているディーゼル車に乗り込んだ。

富山まですることないな・・・

携帯でもいじくるか・・・

そう思った瞬間、顔が引きつった。

しまった!携帯をJの家においてきた!

昨日、Nさんに携帯送りまくっていたおかげで、すっかり電池がなくなっていた。

そこで、Jの部屋で充電していたんだが、すっかり忘れてた。

あわててディーゼル車から飛び降りる。

「あの〜列車出発しますよ。」

車掌が呼び止める。

「いいです。」

ぷシュー グオオオオオオオォォォ

目の前をディーゼル車は出発していった。

駅の公衆電話に駆け込みハローページで、Jの家の電話番号を探す。

Jの苗字「N」なんてどこにでもある苗字で、やはり高山市内でもかなりのNさんが存在する。

が、今朝、朝食を食べているとき、テーブルの上にJの家に来た郵便物が積まれているのに目をやり、

「ああ。お父様の名前は、こういう名前なのかぁ」

と思ったことを思い出した。

それがきっかけで、ちゃんと家主であるJの父の名前を覚えていたのだ。

特別変わった名前でもない。単なる偶然であった。

ハローページに、ばっちりそのNさんは、存在した。

早速電話をかけてみる。

「もしもし、Y君いますか。」

「おう、俺よ。どうした?」

「すまぬ。携帯電話忘れてきた。君の部屋にある。すまないが、持ってきてくれないか」

「いいけど、電車は?」

「いっちゃった・・・。次の電車でいくよ。。。」

数分後、再び我々は、予期せぬ再会を果たした。

「ありがとう」

そういって、僕は携帯電話と充電器を受け取った。

Jは、そのまま仕事場へ向かった。

次の列車は、10時10分発猪谷行き。

まだ2時間もある。

高山の街は、見物しない予定だったが、災い転じて福となす、とはこういうことか、見物をすることにした。

陣屋跡や古い町並みをじっくり堪能することができた。

川べりに座って、あの有名な赤い橋を眺めるときなどのどかで、いとおかし。

高山名物、朝市ものぞいて見た。

このまま家に帰るなら、いろいろある食べ物を買って帰るところだが、旅はまだ始まったばかり。

途中では腐ってはいかんと思い、腐ることのないお土産を購入することにした。

「さるぼぼ」

なにやらお守りらしい。

有名らしい。

ちっとも知らなかった。

「白線流し」が全国的に有名だということを知らなかったJもJの母も、僕が「さるぼぼ」を知らないということには

驚いていた程だ。

買ってみた。

 

旅の資金がことのほか少なかったので、財布の中になぜか入っていた100ドル札を高山駅前の銀行で日本円に交換してもらう。

昔は外貨交換なんて、東京銀行(現東京三菱銀行)しか取り扱ってくれなかったが、今やほとんどの金融機関が扱っている。

金融ビックバン万歳!

 

10時10分、普通列車猪谷行は、出発した。

昨日は、真っ暗で風景も何もあったもんじゃなかったが、今日は快晴。

沿線の景色もものすごくきれいだ。

昨夜は、怖いくらいだと思った猪谷駅だったが、実は大変のどかな駅だということも判明した。

ここで富山行の列車にまたもや乗り換え、ガタゴトガタゴトと進んでいく。

猪谷の時点では、乗客は、またも自分を含めて数名だったが、途中でまたも主婦と高校生軍団が大挙乗ってきた。

ちょうど午前中の部活動が終わったのだろう。

高校生は、顔を真っ赤にさせ、タオルを首に巻きつけて暑そうにしていた。

そうこうしているうちに列車は、富山駅に着いた。

 

今日は、夕方福井県に住む叔母と従兄弟に会う予定だった。

福井方面に向かう電車は・・・

げ!一時間後・・・

北陸線は、どうも接続が悪い。。。

ていうか、どう見ても普通列車より特急列車の方が本数が多い。

青春18切符では、特急は乗れん。

悲劇だ。

しかたないので、富山駅で下車し、昼ごはんを食べることにした。

富山の名産なんて何かよくわからん。

クスリ・・・

そんなもの、昼飯にしたくない。

しかも昨夜、マムシの粉末を飲んでいるから、もう充分健康体だ。

レストランを回ると、やはり海の幸が豊富であるらしい。

特に「白えび」なるものが名物らしい。

さっそく和食レストランに入り、ソバと白えびを食す。

美味。

えびは、赤みがあるイメージがあるが、白えびは、白かった。

まるで故すずきその子氏のようだ。

今はやりの美白だ。

さくさくと歯ごたえもありよかった。

 

そして、午後1時すぎ、福井行普通列車に乗り込んだ。

朝、予想外の忘れ物と予想外の見物、昨夜夜遅くまでのJ特別リサイタルに疲れを感じたのか、乗ったらすぐに寝てしまった。

気がついたら、列車のアナウンスは、金沢到着を告げていた。

金沢駅で飲み物を買い、しばしボーっと窓の外を眺めていた。

そうこうしているうちにまた眠りに入った。

風景を楽しもうなんて、あまりこの旅には、無縁なようだ。

気がついたら、列車のアナウンスは、福井到着を告げていた。

 

駅の改札口前で従兄弟が待っていた。

もう小学校4年になったらしい。

僕にはいつまでも赤ん坊にしか見えないが・・・

叔母の家は、昨年新築し、初の訪問であった。

何とも贅沢の限りを尽くした家であった。

トイレにセンサーがついていて、電気のスイッチがなくとも勝手に入れば電気がついて、出れば電気が消えるシステムや

2階にもリビングルームが存在するのには驚いた。

小学校4年にして、従兄弟は英会話教室に通っているようで、叔母と従兄弟は、その教材を見せてきた。

完了形や比較級、イディオムなど、細かい文法は当然知る由もないが、簡単な会話文、単語は、驚くほどよく知っている。

自分が小学校4年の頃は、まだ漢字ドリルで苦しんでいた頃だ。

それをこの従兄弟は、英語にまで手を出すとは・・・

将来末恐ろしい。

 

叔母に福井駅まで送ってもらい、次に普通列車敦賀行きに乗り込む。

今日の宿泊地、滋賀県高島郡に住む祖母の家に向かうためだ。

同じ県内ということで、福井から敦賀まではあっという間に着いた。

そこで、敦賀発長浜行に乗り換えるわけだが、またも列車は来ない。

本当に北陸線はつながりが悪い。

30分後、ようやく列車は来た。

そこで近江塩津駅で降り、北陸線とは別れを告げ、湖西線近江塩津発近江今津行に乗る。

近江塩津駅では幸いなことに電車は待っていてくれた。

よかった。

ていうか、もし待っていてくれなかったらやばかった。

近江塩津駅、何もありません。キオスクすらないんです。

猪谷駅より寂しい。怖すぎる。

もう夜8時になろうとしているところ。。。駅以外何があるのかまったくつかめない。

駅以外の電灯何ひとつ見えん。

電車の乗客も、旅人カップルが一組いるだけ。

たった3人だ。

赤字路線間違いなし!

近江塩津駅を出発してすぐ、アナウンスがあった。

「交流から直流に切り替えのため、一時車内暗くなります。ご注意ください。」

電車は、当然電気で走っているが、その電気には、2種類あるのをご存知だろうか。

ひとつは、交流電気。まあ、コンセントの電気と思ってもらえれば分かりやすい。

もうひとつは、直流電気。これは、乾電池の電気だ。

北陸線は、交流電気、湖西線は直流電気らしく、切り替えを行うというのだ。

どういうメカニズムで走りながら切り替えを行うかは知らんが、暗くなるとはどういうことか?

と思った瞬間、本当に真っ暗になった。

それは少しというものではなく、完全に暗闇だ。

その間10秒ぐらいかと思ったが、隣の旅人カップルの顔すら見えなくなるぐらい暗いので長く感じた。

ちょっとびっくりした。

 

9時過ぎ、電車は、終点近江今津駅に着いた。

ここからタクシーで、祖母の家に向かう。

「すいません。新旭町の元のS医院までお願いします。」

「わかりました。」

うちの祖父、もう10年以上前に癌で死んだが、ちょっと名の知れた町医者だった。

田舎ゆえ、病院もそんなにあるわけではないので、医者ともなれば有名になるのは当然だったが、年中休みなく往診や急患の面倒を見てきたり、

警察からは司法解剖や死亡診断書も依頼されたりと、いろいろ活躍したらしく、信望厚かった。

葬式に家族が泣くのは当たり前だが、参列したその他の人もオイオイ泣いていたのを幼いながらに覚えている。

今でもこうしてタクシーで、「元のS医院」となくなって10年以上たつ病院名を告げてもわかってくれるほど有名なのだ。

「しかし、暑いでんなー。田舎も暑いですわ!」

さっき、交流電気と直流電気を切り替えたあたりで、どうも方言も北陸なまりから関西なまりに変わるようだ。

タクシーの運転手は、漫才師のようにぺらぺらとしゃべりたてた。

祖母の家に着くと、祖母は、タクシーの運転手以上に関西弁で、ぺらぺらと話し始めた。

不思議な魅力というのか、関西弁は、まじめに聞いていてもお笑いにしか聞こえない。

吉本興業の威力はすごいな。

祖母にとって初孫である僕は、非常にかわいいらしく、いつももてなしは派手だ。

前回の訪問時、僕一人訪問だというのに、エビフライ5人分ぐらい注文しちゃって、腹を壊しかけた。

今回、予め釘をさしておいた。

「エビフライを注文してはいかん!」

エビフライはなかったが、しかし、やはり多くの料理がでてきた。

せっかくのもてなしを断るわけにはいかん。

全て食った。

旅出る前にやせた身体は、ここで元に戻っただろう。

この祖母、世間の多くの女性がそうであるように、ワイドショーが大好きでよく見ている。

社会情勢になかなか詳しい。

宗男から真紀子、はてはブッシュまで話題に上った。

ワイドショーの受け売りなので、当然宗男は、ボロクソだ。

ブッシュは、「サルみたいな顔して・・・」

と政策なんてどうでもいいらしい。

そういうことをズケズケいうところが面白かった。

 

次の日も早いので、世間話もそこそこに床についた。

 

3日目に続く