1日目(名古屋〜高山)

のタイトルを見て、「名古屋〜高山?近いじゃん。旅というわりには、たいしたことねえな。」

そう思われる方もいらっしゃるかもしれん。

残念ながら違う。

やはり、過酷な旅なのだ。

それを見ていこう。

 

 

前日、高山に住むに連絡をとり、一泊泊まらせてもらうことを要請。

彼は、それを快諾してくれた。

そして、名古屋を旅立つ時は、その日の最終目的地を高山に設定してあった。

7時ちょうど、家を出た私は、一路駅に向かい、青春18切符を購入した。

そして、特別快速大垣行きに乗り込んだ。

一路岐阜を目指した。

が、僕は、東海道線と高山本線の分岐点である岐阜駅に着いても、特別快速電車から降りようとはしなかった。

そのまま、電車は大垣に到着。

階段を渡り、向かいのホームに止まっていた、普通電車の米原行きに乗り換えた。

そう・・・お気づきの方もいらっしゃるであろう。

北陸線富山経由で、高山へ向かうのである!

なんという馬鹿なコース。

名古屋もおかげさまで人口が多い政令指定都市であり、高山といえば、名古屋からして、最も行きやすい観光地のひとつである。

毎年、名古屋から多くの観光客が高山を訪れているわけだが、いったいそのうちどれだけの人が、このコースで高山を訪れただろうか。

しかも、普通電車で!

 

米原行き普通電車は、意外と混みあっていた。

多くは、伊吹山付近にハイキングに行こうという中年男女が占めていた。

30分ほどで、電車は米原駅についた。

そこから、北陸線福井行普通電車に乗り換えた。

あくまで普通電車。

が、北陸線は恐ろしい。

さすがにこれからローカル線に乗るわけで、さすがに都市部ほど混んではいないのだが、

示し合わせたように乗客は、ご老体ばかり!

ギャルは?!かわいいギャルは?!

普段、通勤時普通にギャルは、いるので、なんとも思わなかったのだが、これほどまでにご老体が集合されると、さすがにギャルが恋しくなる。

だいたい若者は他に、しらさぎ号が通るたびに興奮しまくる挙動不審な鉄道マニアの男しかいなかったのである。

窮屈極まりない電車は、北陸線屈指の長いトンネル、「北陸トンネル」へと入る。

なんとも長い・・・。

他にすることもないので、これから金沢で会う予定の会社の同期、Nさんにメールを打ってみたりする。

ちょうどNさんお休みだそうで、って当たり前ですな。

同じ会社だもの。

で、「金沢案内するよ。」ということになっていたのである。

 

そうこうしているうちに電車は、終点福井駅に到着した。

ここで、普通電車金沢行きに乗り換える。

なおも暇な僕は、Nさんにメールを打ち続ける。

今月のメール代はすさまじいものになるであろう。

そして、電車は、最初の下車駅となる金沢駅についた。

 

Nさんは、多少遅れたものの、颯爽と車で現れた。

黒光りした愛車。

東京にいたころ一度乗せてもらったことがある。

が、5人乗りのところに、同期6人押し込められて、Nさんの住む東京都福生市から青梅市まで走ったのである。

何とも苦しかった。

が、今日は悠々と乗ることができる。

よかった・・・。

 

着いたのは1時半頃。

小腹もすいてきたところなので、食うところを探す。

「何食べたい?」

などとNさんは聞くが、金沢来るのが初めてな僕に答えられるはずがない。

旅の予習なんてちっともしてない。

金沢に関する知識は、加賀前田藩100万石の城下町。これのみである。

結局、車は市街地を一通り回ったあと、兼六園、金沢城の中にはいることなく、

その前を素通りし、Nさんの母校、金沢大学へと向かったのである。

そして、Nさんが学生時代、足しげく通ったという餃子屋にて遅い昼食をとることになった。

しかし、その餃子。

餃子独特の形は、なしておらず、むしろ、ロールキャベツっぽい。

大きさもロールキャベツ並の大きさ。

すさまじいボリュームである。

さすがNさん。

これを食って、強くなられたのだね。

 

その後、金沢大学構内に入り、記念撮影をし、生協を訪れた。

地球環境学なるものを専攻していたNさん。

僕には、よくわからんというよりむしろ仕事を思い出すようでビクついてしまう理化学的な本に目を輝かせている。

論文を一度見せてもらったことがあるが、すこぶる難しい。

石ころと鉱泉について多くかかれてあった。

鉱泉専門家というつながりから、温泉にも詳しいらしい。

マニアックな温泉をよくご存知だ。

生協をでると車に乗り込み、次の目的地へ向かう。

金沢大学はものすごく大きい。

UCLAを彷彿させるものがあった。

Nさんの師匠なる人物に会ってみたいという興味は多少あったが、

「恐ろしい」とびくつくNさんの表情を見てやめた。

Nさんにも苦手とするものがあったのだね。

大発見です。

その師匠であるT先生は、うちの会社のユーザーでもあり、(弟子であるNさんは、

学生時代、うちの会社の機器を使っていたことで、身近に感じ、入社を決めたらしい。)

営業職である僕とは、そのうちお会いすることになるであろう。

その後、酒屋で酒を購入。

当然自分用ではない。

2002年度N電子株式会社新入社員で指折りの酒乱ぶりを誇る僕とNさんが、そんな無謀なことをすることはない。

ちゃんと同期や上司に買っていくお土産用だ。

その後、和菓子屋できんつばを食う。

酒がどうも苦手な人は、甘いものが好きらしい。

どうしてなのかわからないし、単なる迷信であるかもしれんが、

例に漏れず僕も甘いものは大好きである。

Nさんも驚く早さで平らげてしまった。

 

Nさんに金沢駅まで送ってもらった後、18時発の黒部行き普通電車に乗り込み、

一路富山へと向かう。

次の目的地、岐阜県高山にむかうためである。

そろそろ疲れがたまってきた。

もうかよ!まだ一日しかたってねーぞ!

と思われるかもしれないが、あの狭い普通電車の空間の中に長時間いたら分かる。

すぐ「やられてしまう」んだ!

疲れていた僕は、すぐに寝てしまい、気がついたら、富山駅寸前であった。

富山駅に降り立った僕は、目の前のホームに止まってる電車を見て驚いた。

「ま、まさか・・・あれが高山線?」

それは、実は「電車」じゃなかった。

ディーゼル車だった。

しかも、ワンマン!

車掌さんいません。

乗っているのは、主婦。高校生ばかり!

いかにも!って感じです。

しかも、行き先が「猪谷」

聞いたこともない。

思わず駅員に聞いてみた。

「すいません。この電車高山行かないんですか?」

「ああ。途中猪谷ってところで乗り換えてください」

なんと!まだ乗り換えあるんすか!

ああ。まだまだ長い道のり・・・。

「ぐうおおぉぉぉぉぉぉ」

重苦しいディーゼルエンジンの音とともに高山線普通列車猪谷行は出発した。

列車は、広い富山駅構内から離れ、多くのホームをなしていた線路はどんどん合流していく。。。

あ・・・あれ?

合流していく線路は、ついに二本だけとなった。

なんと高山線は単線!

やられました。。。

次の駅西富山でさっそくやりました。

「通過列車の待ち合わせを行います。しばらく停車いたします。」

こんなアナウンスの繰り返しも単線独特。

何とも時間のかかる旅でございます。

 

そして誰もいなくなった・・・

あれだけ主婦や高校生が周りに乗っていたのに、猪谷の2,3個前の駅で、全員降りました。

アナウンスは、たった一人のために次の駅名を告げていた。

なんとむなしい光景だろうか。

いや、これが何とも奥ゆかしいというべきなのか。

 

猪谷駅に着いたときは、すでにあたりは真っ暗だった。

終点でもあり、乗り換え駅でもある猪谷駅は大きい駅だと思ったが、どうも違った。

電気と呼べるものは、ホームの電灯のみ。むしろ怖い。

向かいのホームに止まっていたこれまたディーゼル車に乗り込む。

今度は、ワンマンじゃない。

車掌がいた。

が、「お!おめえ乗るのか?」って顔で見られた。

それまでダラーとしていたが、お客が乗ってきたら、そういうわけにもいかん。

シャキっとなった。

心のうちでは、「やれやれ・・・」

と思っているのかもしれないが。。。

そして、列車は、本日最終下車地、JR高山駅へと着いたのである。

 

駅改札口前にて、大学時代の友人Jと再会を果たす。

さすがに夜9時過ぎの高山駅は、静まり返っている。

スーツ姿のJと疲れきった旅人Hは、とりあえず晩御飯にありつくために歩き出した。

Jは、高山市民として、高山のすばらしいところを余すところなく案内したい様子であったが、僕が

「明日、朝7時43分の富山行きで出発するから」と冷たく言い放つとなんとも寂しそうであった。

それでも人のいいJは、僕を高山ラーメンの店に連れて行った。

さらにJの家では、Jの母からデザートを頂いた。

その後、「ちっとギター引きに行ってくる」と言い放ったJは、僕とギターを車に押し込め走り出した。

最初に向かったのは、Jの同級生F田君の家。

F田君。会ったことないが、その存在はJを通じてよく知っている。

なかなか優秀な方で、奇怪なあだ名を複数持つJ(J自体本名じゃない。本名は、N.Yだ。本人は認めてないが)にして、

畏敬の念をこめて「F田君」と呼ぶあたり、すごい人物なのであろう。

実家は薬局であった。

高山ではなかなか名の知れた薬局らしく、るるぶにも掲載されているそうな。

るるぶを見たという観光客が時々訪れるのだそうな。

残念なことにF田君はいなかったが、F田君の父が我々に対応してくれた。

閉店間際だというのに、いやな顔ひとつせず、いろいろおしゃべりするF田君の父。

田舎の人の人情的温かさに触れた。

F田君の父は、突然、思い出したようにとある粉を僕の目の前に差し出した。

「いい薬だよ。なめてみな。」

なめてみる。

煮干を細かく砕いたような・・・そんな風味がした。

「なんのクスリですか?これ?」

とたずねると・・・「これ」といいつつF田君の父は、長くだら〜んとしたものを我々に見せ付けた。

「まむし」

ぎゃあああああああああ

少し元気になったような気がしました。

別にカノジョもおらず、これっぽっちも出会いがなさそうな地味な旅をしている僕が、元気になってもどれだけ益があるのか疑問は残るが・・・

F田君の父には、その後、栄養ドリンク「飛騨龍」なるものを1ダースいただいた。

ありがたいことです。

 

その後我々は、Jの母校へと向かった。

Jの母校、ちょっとしたことで名を全国に知られている。

「白線流し」

時雄のボーカルやら酒井なんたらが出ていた同名の青春ドラマもあった。

あのドラマでは、長野県内のとある高校を舞台に描かれていたが、実際モデルとなったのは、Jの母校岐阜県立H高校。

Jも数年前、帽子の紐を高校の目の前にある川に放り投げたらしい。

もっとも今は、校則で帽子の着用が義務付けられてないため、白線流しのためにどこからかは不明だが、帽子の紐が調達されてくるらしい。

暗がりの川を見た後、Jは、近くの自動販売機まで僕を連れて行った。

そこには、白線流しほどではないが、我々の周辺でひそかにブームとなっているとある飲み物があるという。

「メッコール」

韓国製の炭酸飲料。

友人に韓国人もおり、韓国へ旅行も2回ぐらいこなしている僕であるが、これはノーマークだった。

「まあ、飲んでみろ。」

ごく。

うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

おいしくない。

非常にまずい!とまでは言わないが、おいしくない。

また飲もうとは思わない。

Jは、高山に遊びに来る友達みなに、このメッコールをおみまいしているらしい。

メッコールの味が口の中に残ったまま、我々は、Jのもう一人同級生Mスン君の実家へ向かう。

時計は、もはや12時を過ぎていた。

いいのか?

Mスン君の実家は、バラを栽培しており、その作業小屋に我々は侵入した。

「ここがギターを弾くのに一番いいんだ。」

そうJは、言うがこれは家宅侵入じゃないのか?

そんな心配をよそにJは、新曲を披露した。

このJ、大学時代のカラオケ大会で、組織票のあるサークル代表の人々を破り、

堂々個人で、優勝を果たした、美声の持ち主である。

Jの美声が高山のバラ園にこだまする・・・

幸いなことにMスン君一家は誰も起きてこなかった。

 

そして午前1時。ようやく我々は、Jの家の2階で床に着いた。

名古屋をでてから18時間後のことであった。

 

2日目へつづく