2002年・・・
それは、突然始まった・・・
7月28日(日)、私は、会社の先輩方と名古屋市中川区にあるテニスコートに出かけ、久しぶりにテニスで汗を流した。
が、それは、単に汗を流したといえたものではなく、額の汗は、目に次々と流れ込み、「しょっぱい!」と目が叫びまくっているように、
燦々と私の両目は、充血していた。
雨天でも使えることがウリな、屋根付きテニスコートであったが、暑い日には、それが悪いほうに作用し、タダのサウナを生み出してくれる。
この日だけで体重数キロは痩せたに違いない。
さて、そんなテニスも終了し、その後数キロ離れたところにあるスーパー銭湯に行った。
風呂上り、飲み物を飲みつつ、わが職場の若手営業マン、サービスマン、アシスタントは、くつろいだ・・・。
「ああ〜今日は疲れたなぁ。明日から、また仕事だぞ。いやだな〜」
へとへとに疲れた先輩営業マンが口々に言う。
「そういえば、原野さん明日から休みじゃないすか。いいなあ。」
突然、アシスタントのMさんが私にそう言った。
うちの社において、営業職は、好きな時に夏休みをとることができるのだが、新入社員である私は、すでに休む日が決まっていた。
それが、7月27日〜8月4日までの一週間であった。
そういや、休みだな。。。何をしようかな。。。そんなことを考えつつ、家路についた。
家についても何をやろうか思い浮かばない。
去年の夏休み何をしたかなと思い出してみる。
「中央線原野駅の旅」
そういえば、そんなこともした。愛知県の実家から、大学の会った静岡市まで。普段なら新幹線でわずか2時間弱の距離だが、とあるとき、何気に時刻表を見ていると、
中央線木曽福島駅の次の駅に、「原野駅」
なんと!自分の苗字の駅があるじゃないか!と。「原野」という苗字が珍しいだけに僕は、その駅に妙な興味を持ち、いつか訪れたいと思っていた。
学生生活最後の夏休み。18きっぷ片手に旅立った。
予想に反して、原野駅は田舎に存在した。
無人駅だった。
周りは、「原野」だらけ!
「原野八幡宮」
「原野公民館」
「JA原野」
他には何もなかった。しかし、何とも穏やかで、時が止まっているようなところだった。
老後に住みたいな。そう思えるのどかな場所で、僕はベタにも信州そばを食い、後にした。
そして、松本、甲府を経て、地獄のローカル線身延線に乗り、富士から東海道線に入り、静岡へ戻ってきた。
その時間、14時間。
長いたびであった。
そんなことを思い出しつつ、僕は決意した。
「今年も旅だな」
それは、もはや決意というか、他にやることないから、適当に選びましたという選択肢に他ならなかった。
明確な目的はまったくなかった。
その証拠に、どこに旅立つかその時点では全く決めていなかった。
社会人だから、飛行機や新幹線をふんだんに使った旅を企画すると思いきや、休み前、出張があった僕には、
そんな経済的余力はなかった。(弊社の出張代は、後払いっす。)
「今年も18きっぷ」
それはさだめられた運命であった。
僕は、常識的に18きっぷで訪問できる範囲を長野、静岡以西、兵庫以東と設定し、その範囲に住む親戚、知人、友人にメールを送った。
「今週暇ですか。」
ありがたいことに様々な人々から「会おうよ。」などというお返事をいただいた。
が、彼らにも予定がある。都合のいい日を聞きつつ、経路設計をしていく。
こうして、何とも奇妙な旅の予定が固まった。
それは、時間との戦いを意味する過酷な旅の始まりにすぎなかった。
登場人物紹介(飛ばしてもいいよ。本編でおいおい分かるから。あらかじめ見たいという人のみどうぞ。)
★本編★
5日目(浜松〜静岡)
あとがき(静岡〜名古屋)